2年前の個室内

イメージ 1 皆様、こんにちは。こんばんは。

2年前の3月11日午後2時46分。

親戚の自動車修理工場に車の修理に出していた僕は
その工場に出かける用事がございましたので
出かける前に用を済ませておこう…
と思ってトイレ内におりました。

キレイな画像で無く失礼致しますが
本日の画像は地震が発生したその時に見ていた
トイレのドアの画像です。

うねる様な揺れを感じましたが
気のせいかな?と思っていたら、ドンドン揺れが強くなります。

今、念の為に調べましたが
僕の地元のその時の震度は4でした。
が、立てません。

トイレの中は完全な個室なので、何が起こっているのか判りません。
地震だとは思っておりましたが全く揺れが収まりません。
無理に動く事は諦めましたが
(慌てないのは良かったのですが、緊急性に欠ける判断ですね…)
僕の視界に映るモノは本日の画像のドアと壁だけで
揺れの大きさを判断する様な物がございませんでした。

で、揺れが収まってからようやくトイレから出て
高齢の祖母のところに向かうと、
祖母も慌てて外に出る準備をしていたみたいです。

流石に僕は親戚の修理工場に向かう事を諦めましたが
その後、祖母と一緒に居てTVで地震の情報を見聞きしました。

そして、TVからリアルタイムで津波の様子を見て
僕の地元でも大津波警報が発令されたので
自宅裏の海岸の堤防の上に向かい
津波到達時刻まで海の様子を眺めていたのです。

その時、自宅隣のおじさんが居りましたが
今思い起こすと意外にも他に様子を見に来る方は少なかったのです。
結果的に津波到達時刻を過ぎても堤防上におりましたが、
海面の変化、波の変化すら判りませんでした。
確か1m以下の津波が到達していたみたいですが。

僕が覚えている3月11日の出来事は上記の事が鮮明で
後はうろ覚えの事になってしまいます。
その後の3月15日の富士山麓の地元の地震の方が
揺れ方が異なって家中のモノが散乱しました。

2年前のその時、書き記した通りトイレ内にいたので
家・外・何がどれだけ揺れているのか判りませんでした。
その後のTVの映像を見たり、
その後お会いした方から当時の話を聞いたりしました。

特に東日本に住んでいる方は、それぞれが大きな揺れを感じて
それぞれが異なる体験をしているのだと判りました。

そして、東北では想像を絶する事態となってしまいました。
今でも苦労なさっている方、
当時の事に心を痛めている方がいると思うと
表現しづらいのですが、やるせないと申しますか…
とても複雑な気持ちになってしまいます。

子供の頃から東海地震が起こるものと教えられて育ったので
大きな地震と隣り合わせなのが自分の住む地域だと思っておりました。

先日から、地震に関するTV番組が多く報道されておりますが
僕の地元TV局発信の地震番組も非常に多いのです。
やはり、東海地震・南海トラフ地震の事がございますので
危機管理意識が非常に高くなったと思います。

今朝の地元新聞には南海トラフ地震の津波発生時の
浸水する場所の到達マップも付属しておりましたが
その内容はとても細かく、僕の自宅周辺の事もシッカリ記載されておりました。

こういう情報を多く得る事が出来るのは
大きな犠牲があったからだと痛感致します。

犠牲になられた方々のご冥福を祈ると同時に
命の大切さを心に刻んで
強く・清く・正しく・優しく、
生きていく事が大切なのだと感じます。

では、長々と書き記してしまいましたが
本日は失礼します。

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