この日に心にデニムを

イメージ 1 皆様、こんにちは。こんばんは。

まさか今朝が今シーズンの冬場で一番冷え込むとは思いませんでした。

それぞれの方が3年前に3月11日を迎えたと思いますが
その時の僕の出来事を、毎回の事ですが書き記します。
初めて見る方もいらっしゃるかもしれませんので。

2011年3月11日は自宅に居ました。
当時所持していた車、ランエボの車検・修理のため
親戚の修理工場に出かける予定だったのです。

家を出る前に念の為トイレに寄っておこうかな…と鮮明に覚えておりますが、それほど必要も無く自宅のトイレに入りました。
特に立ち寄る必要も無かったのですが。

便座に座っている最中にうねる様な感覚がありました。
「あれ?地震なのかな??」と思いましたが
そのうねりは物凄い大きさとなり、単なる感覚麻痺では無いと気付きました。

階下には90歳近くの祖母もいたので
声をあげて安否を問いましたが声は届いていないみたいです。
急いで立ち上がろうとしたのですが…立ち上がる事すら困難でした。

諦めて揺れが収まるのを待ちました。
トイレは柱・ハリがシッカリして安全だと知ってはおりましたので。
しかし、個室・密室なので周りの様子が全く判りません。

ようやく揺れが収まったので外に出て、真っ先に祖母の下に行きました。
そしてTVを付けて様子が判ってきました。
親戚の車屋さんに行くのは中止にして報道番組を祖母と観続けたので…津波の映像も全て見ておりました。

リアルタイムで映像を見ていたので
今でも再放送されない津波のシーンが多い事に後から気付きました。

311の地震では僕の地元は震度4くらいだったのですが
それでも立ち上がる事が困難だったです。
大津波警報が発令されていたので
津波到達時刻に自宅裏の堤防(海抜15メートル以上)に駆け上がり
海岸を眺めていたのも覚えております。
風が凄く強く、波打ち際の変化を見続けておりました。

この時は被害はそれほど無かったのですが
3月15日の静岡の地震の方が縦揺れで激しく
家のモノが色々と落下し・破壊されました。

簡単ですが以上が僕の経験した311です。
当時のブログを読み返せますので
僕自身も当時の事を振り返る事ができますが
本当にどうなってしまうのか?先行きが判りませんでしたし
津波の恐ろしさを生放送で体感しました。
自宅裏が海岸なので本当に何が起きても不思議では無いのだと。

先日は津波避難訓練に参加し、
TVでも震災関連番組が多く報道されております。

そんな中、今朝放送されていたモーニングバードに
何気無くチャンネルを合わせると
デニム・ジーンズの内容だったので驚きました。

「オイカワデニム」という気仙沼にあるジーンズ工場の話でした。

恥ずかしながら、ジーンズサイトっぽい事をやっておきながら
全く存じ上げておりませんでした。
知っていたら、必ずブログ記事にしているはずなので。

というか、オイカワデニムの事をアメカジ雑誌で
とりあげていたのを見た事が無かったです…
僕自身がこの様な姿勢で、何が復興支援と言えるでしょうか…?

ジーンズサイトっぽい管理人として目に付いたのは
取り扱っていた(番組内で紹介していた)ジーンズブランドです。
番組ではエドウィンという名前しか出ませんでしたが
僕が見る範囲で判った他のブランドは
「45RPM」のジーンズと
「シュガーケーン」のロゴの入った映像でした。

有名ブランドが製作依頼しているのだと知って嬉しくなりました。

「オイカワデニム」で検索していただければ
色々な記事を読む事が出来ますので詳細は其方でご確認下さいませ。

日本のジーンズ名産地といえば岡山・倉敷、関西方面ですが
東北の震災・津波の影響を受けた場所にジーンズ工場があったとは
知らなかった事を後悔しております。

そして、次回穿き込むジーンズは
オイカワデニム製造の一本を探して選びたいと思いました。

画像は現在穿き込んでいるジーンズ(本日撮影)ですが
震災から3年のこの日にジーンズ・デニムの復興番組を観れて
本当に良かったと思いました。

普通に生活していると、震災の事が嘘の様に思えてしまいますが
それは遠く離れた場所で生活しているからでございます。

だからこそ、普通に生活できるありがたみを実感して
色々な事を大切に生きていく事が
復興や支援に繋がっていく…と思いたいです。

では、本日は失礼致します。쾤몼

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